洗礼名 堅信名 生きる中で変わる意味 世界の時間の流れの中で

洗礼名 堅信名 生きる中で変わる意味

 今日、洗礼名について聞かれて原点を、思い出した。私の洗礼名は、パウロで、堅信名はグレゴリウス。

 保守思想そことつながる行政や経済と反する革新社会思想を有していた私は、社会人になりその軋轢に疲弊した。学生時代に学校に苦しみ
革新思想にのめりこみ無神論になり、学生時代をやりきったが、それは限界だった。

 もう限界だと思ったころ、曽野綾子の本にあった。神に出合った。

 そこからパウロに出合った。耐えること全体の中で自分を位置づけること言葉を磨くこと、人に合わせて言葉を育てること。苦難の中に結果は出なくても、希望を見出すこと。

 グレゴリウスは司教であり市長であった。行政と法の守護聖人である。法により不公正と矛盾に満ちた世をかえたかった。

 あれから、30年以上経った。今日、洗礼名について聞かれて原点を、思い出したのだ。原点から今に至る時間の流れの中で、私は現実と無神論と一神教と多神教の世界をさまよい歩いて来た。政治家になりたい、神父になりたい、活動家になれたいと思いながらなれない自分を責めながら、何個かの街に住み、結婚そ子供を育て、異動し、試行錯誤して来た。


 もう一度改めて、原点を見つめ、神の声を聴きたい。 主よ声を聞かせてください。
 

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