誤りから本質を

誤りから本質を  失敗したことから本質を見直したい。語学、哲学、法律。私はこれらを、主語、述語を明白にする。論理の組み立てる。用語の定義を明確に する。論点を整理する。この積み上げが未だにできないでいる。物事の本質を追求する手法を身に付けていない。  司法試験、宅建試験を受けていても、普段、行政関係の仕事をしていても思う。    失敗から本質を、不明確な、主語、術語をあぶり…

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鎌倉から宇治を思う その先のあるもの 解体と虚無の交差点 新しいデザイン

 鎌倉から宇治を思う    宇治川は、際の果て、農業や仏器が国に入り込み、社会が国形成された挙句、仏器も国も為政者も薄く虚部に河に溶けてゆく。鎌倉はそこから離れ、仏教も為政者もそこから内実を取り戻した。しかし、また明治、今に至るまで内実を失う。  多くの外国人観光客、都会から全国からくる観光客。ここに移り住む人々。これは、キリスト教や資本主義から逃れる場所ではないか すると鎌倉と…

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経験と哲学 コラール協奏曲

 経験と哲学 コラール協奏曲  地域や仕事、家庭で経験はむしる、邪魔になる。その奥に哲学と人とのつながりがあれば、経験は作り変えられる。 森 有生の遥かなるン-トルダヌで体験と経験は違う、時と文脈の中に経験はある、バッハのコラール協奏曲が響き渡る。  熱情を悲しみと憤りを、歴史と楽譜に哲学に乗せる。 世界地図 聖書    何事にも時がある。コヘレト …

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